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第二話「路地裏の匂い」

~人生は旅である。その旅路で出会う様々な香り。ふと、ある香りを嗅いだ時、思い出される記憶がある。そんな香りにまつわるショート・ストーリー。~


 時間は空間を超える。気付いたら熱気に包まれた深夜のバンコクの路地裏にいた。昨日まで知らなかった異国の人と一緒に、屋台の安っぽいテーブルで向かい合い、プラスチックのどんぶりに入ったタイのお粥を食べていた。

2度目にタイを訪れたのは、1994年の8月だった。新卒で勤めた会社を辞め、タイとベトナムへひと月半の旅に出た。

初めての一人旅。赤いバックパックを背負って、緊張と期待感と共に福岡空港から旅だった。飛行機にも慣れておらず、機内で出入国カードを書くのも、本を見ながらひとつひとつクロスワードのように空欄を埋めていった。そして再び、あのドンムアン空港に降り立った。

「バンコクへ着いたら、まずはカオサンへ行け」。それは当時のバックパッカ―の合言葉だった。カオサンは世界最大ともいわれる安宿街だ。1泊300円くらいの宿がひしめいており、ここから東南アジア諸国やインド、チベットなどへ旅立つ、またはそういった国から帰って来た世界各国からの旅行者が集まる場所であった。旅の始まりは「カオサン」と、自分の中で勝手に決めていた。

ところが、見事にしょっぱなで迷った。ドンムアン空港からカオサンまでは30キロ程ある。空港そばの電車で向かおうと思っていたが、どう行って良いのか分からずに空港の駐車場へ迷い込んでしまった。たまたまそばにいた会社員らしき若者たちに、片言の英語でカオサンまでの行き方を尋ねた。すると、こんな返事が返ってきた。「連れて行ってあげるよ」。

今考えると無防備であったかもしれない。が、妙に確かな「大丈夫」という勘のようなものがあり、ありがたく言葉に甘えることにした。会社用のバンなのか、数名が乗り込んでいる車に私も乗り込み、そして数十分。どこかの会社に着いた。ぞろぞろと皆の後に着いて行き、ビルの中の立派なオフィスでお水を頂いた。その後、車の運転手のおじさんが、親切に会社からカオサンまで連れて行ってくれた。無事着いた頃にはすっかり夜も深まっていた。おじさんは、原色の明かりのもと賑やかにに人の集う屋台へ連れて行ってくれ、見ず知らずの外国人旅行者にお粥をご馳走してくれた。こうして旅のプロローグは始まった。

旅の初日の高揚感と共に思い出されるのは、タイの路地裏の香り。それは香辛料と共に香る「レモングラス」の爽やかな甘さ。レモングラスはタイ料理には欠かせない。また、虫除け作用から、タイでは防虫としても良く使われる。シトラールという特徴成分は、この植物に爽やかな香りを与える。

1人旅の序章。熱帯の深い夜、お粥をすする額に汗がこぼれ落ちた。そのとき、どこからかレモングラスの香りを含んだ風が吹いてきて、やさしく額をなでていった。


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