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第四話「地球の裏側からの香り」

~人生は旅である。その旅路で出会う様々な香り。ふと、ある香りを嗅いだ時、思い出される記憶がある。そんな香りにまつわるショート・ストーリー。~


ここは「世界一空気のきれいなところ」といわれている。地球儀の下の方にある南の小さな島、それがタスマニアだ。シドニーから約240キロ南方、飛行機で約2時間弱のところにある。

タスマニアと聞くと「タスマニアンデビル」を連想する人は多いと思う。ここは、絶滅危惧種以外にも色々なもので知られている。芳醇なワイン、まろやかで酷のあるチーズ、美しい自然。そして、南半球で一番大きいといわれるラベンダーファーム。その大きさは東京ドーム21個分に相当する。ラベンダーの収穫と精油の蒸留は1年に1度、1月初頭からわずか4週間である。

タイからオーストラリアへ移り住む目的の一つに、現地の精油生産者を訪れることがあった。雄大な自然はラベンダーやティートリー、ユーカリなど多くの植物を育み、精油生産者も多い。また、広大な国なので、同じ植物でも地域により特性も異なるのが興味深い。

タスマニアで2番目に大きな都市、ローンセストンに着いたのは1月始めの早朝だった。そこからレンタカーで1時間ほどの山間にラベンダーファームはある。日本とは真逆の季節のオーストラリアでは1月は真夏だ。気温は34度。車を降りると眩しい太陽の光と共にラベンダーのやさしくとろけるような香りが辺りに満ちている。安眠に良いといわれ、ヨーロッパでは家庭の救急箱に1本入っているといわれているラベンダー。その香りは一瞬にして人の心を虜にする。ラベンダー畑には、紫の花々が咲き誇り、蜂が蜜を求めて飛んでいた。この農場では、精油の全行程を見る事が出来る。刈り取られた精油は乾かされ、蒸留場で精油が蒸留される。1滴の精油は大人ひと抱え分に相当する。蒸留場は、採れたてのとびきりフレッシュな精油の香りに満たされていた。スタッフのおじさんは、「家に帰っても身体からずっとラベンダーの匂いがするんだ」と言っていた。

 オーナー夫婦に事前にアポイントを取っていたので、ラベンダー精油に関する興味深い話を伺う事が出来た。「精油はワインのようなものだ。酸化さえ防げば10年だって持ちます」これは、私にとっては衝撃だった。通常精油の使用期限はせいぜい1~2年といわれえている。生産者から消費者の手に渡るまでには時間が生じるので、それによって期限も変わって来る。酸化や光による劣化は否めないが、保管状態によってはそういう事もあり得るという見解は驚きだった。

ラベンダー畑を歩き、蒸留工程を見学し終わったときには陽は傾き始めていた。世界一空気のキレイな島には、エネルギーに満ち溢れたラベンダーが咲いていた。その香りを胸一杯に吸い込むと、植物が発する声、それを育む生産者の思い、そういったものも身体の隅々に届けられるように感じた。「なんだかよい年になりそうだ」、地球の裏側でそう思った。


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